車の小噺

車の小噺

驚異のウエットグリップを誇ったJJDツインタイヤとその影響を受けたタイヤ達

夢のようなツインタイヤの誕生 ポルシェのファクトリードライバーであったヤロスラフ “ジェリー” ユハンは、エイボンやスピードラインなどとの協力のもと、理想のタイヤセットの販売にこぎつけた。それはJJDツインタイヤと呼ばれるもの。2つ...
車の小噺

シャモニーアイスレースでGr.Bモンスターを従えるBMW 325iX

1990年の"GRAND PRIX DE CHAMONIX"アイスレースは現役F1、WRC、ラリークロスドライバーが入り混じる豪華布陣で開催された。ジャン・アレジはプジョー205T16、スティグ・ブロンクビストはフォードRS200、ヤニッ...
車の小噺

フルカウルのF1マシンが存在した時代

1954年のF1開幕戦フランスGP。そこでメルセデスベンツが投入したW196は、フルカウルの流線型ボディを持ち "ストリームライナー" と呼ばれた。しかし、大柄で見切りの悪いそのボディはレース中にボコボコにダメージを受けてしまう。その後メ...
車の小噺

TVRサーブラウの姿をしたSLRマクラーレンのテストミュール

メルセデスベンツはSLRマクラーレンのテストミュールに2台のTVRサーブラウを使っていた。エンジンフードは大排気量のスーパーチャージドV8を収めるために、まるで金魚の丹頂のような大きなコブがついていた。 画像ギャラリー ...
車の小噺

5マイルバンパー規制に苦しめられたカウンタック

1971年、北米の運輸省道路交通安全局(NHTSA) は連邦自動車安全基準215条を発表。これは、乗用車のバンパーに適用される国内初の規制で、フロント側で5mph(8km/h)、リア側で2.5mph(4km/h)の衝突に対してヘッドライトやテールライトなどすべての灯火類と、給油装置に損傷を与えてはならないと決めたもの。この規制は1972年の9月1日より適用となり、さらに1974年モデルに関してはバンパー高さまで規定されるなどより制限が厳しくなった。これにより北米仕様車のバンパーが無骨なものとなった。
車の小噺

マイアミバイスのテスタロッサの秘密

マイアミバイスのテスタロッサの中身は… マイアミ・バイスには白いフェラーリ テスタロッサが登場する。劇中では贅沢にもホンモノのテスタロッサが縦横無尽に駆け回っているが、スタントシーンではやはり替え玉が使われる。そのベースは1972年...
車の小噺

トヨタ セリカのノッチバックモデルについて

トヨタ セリカは、フォード マスタングの成功に倣い開発された、いわば日本版マスタングのような立ち位置の車でした。ボディスタイルもマスタング同様、ノッチバックスタイルでデビューし、ファストバックスタイル(セリカではLB=リフトバックと呼称)...
車の小噺

世界最高のドライビング~1955ミッレミリア~

1955年ミッレミリア(イタリアの公道を1000マイル≒1600km走破するロード・レース)。メルセデスベンツ300SLR "No.722"を駆るのはスターリング・モスとデニス・ジェンキンソンのコンビ。そのゼッケンは午前7時22分のスタートを意味しました。優勝した彼らの記録した平均速度は約160km/h。サーキットではなく公道での記録です
車の小噺

ダイアナ元妃と自動車

若い頃の彼女は、夜な夜な友人と遊びまわり、その足はいつも自動車でした。チャールズ皇太子と結婚し、王室入りしても自動車を愛用。空軍特殊部隊のレッスンを受け運転技術は向上。身辺警備やパパラッチを巻いて夜中のロンドン市内を爆走することもありました。ここではかつて、彼女がドライブした自動車をいくつか紹介したいと思います。
車の小噺

ピレリ P7

1974年、ランチアストラトスの登場に合わせて誕生したタイヤ。70~80偏平タイヤが常識の時代に、50~55偏平タイヤを投入したピレリ。ハイパワーなストラトスにこのタイヤはマッチし、WRC常勝マシンとなる。これ以降、海外では低偏平タイヤが普及していく。
タイトルとURLをコピーしました