スバル 1500(1954-1955)

スバル

富士重工発足前より開発が進められた6人乗りセダン、開発コードはP-1。先進的な日本初のフルモノコックボディを持ち、前輪は独立懸架。1.5L OHVは55馬力を発生。20台が生産され、モニター試験では好評を得た。しかし、設備投資等の課題が多く量産は断念された。

【スバルのエンブレムの由来】
P-1は初めて”スバル”と名付けられた車だった。”スバル”は初代富士重工社長の北謙治によって命名。プレアデス星団の和名であり、数千個もの星からなるが、その中で6個の肉眼で確認できるものが六連星(むつらぼし)と呼ばれる。富士重工が6社の合併で誕生したことが由来。

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