1930年代にERAの設立にも携わったレイモンド・メイズとピーター・バーソンが、戦後のモータースポーツ界で英国の威信を賭けてその頂点に君臨することを目的として設立したのがBRM(ブリティッシュ・レーシング・モータース)だった。彼らはロールスロイスやルーカス、デビッド・ブラウンなど300以上の英国のエンジニアリング会社や個人の支援を受け、最初のグランプリマシンであるタイプ15を開発した。このマシンの目玉は強力なエンジンにあった。1.5Lの135°V型16気筒DOHCエンジンは、ロールスロイス製の2ステージ遠心式スーパーチャージャーを搭載することによりピークパワーはなんと12,000rpmで600馬力に迫った。しかし、遠心式スーパーチャージャーは低回転では非力な反面、回転が上がるほどブーストがかかり続け、ホイールスピンがいつまでも止まらないという扱いにくさを持っており、このパワーに対してシャシーは完全に負けていた。足回りは戦勝国の利を生かし、戦前のドイツメーカーの技術情報へとアクセス。フロントサスペンションはアウトウニオン式独立懸架を、リアはメルセデスベンツ式のドディオンアクスルをベースとしたものを採用していたが、こちらも煮詰め不足でロードホールディング性能が不十分だった。信頼性にも問題を抱えており、結局F1グランプリで完走したのは1951年シルバーストーン戦の1戦きり。その後グランプリのレギュレーション変更により、過給機付き車両の排気量が750ccへと制限されてしまったためタイプ15は主戦場を失ってしまう。それでもマシンは熟成を進め、非グランプリレースではファン・マニュエル・ファンジオなどの手により好成績も収めた。