ローナー ポルシェ(1900-1906 オーストリア)

ポルシェ

老舗馬車メーカーであったヤーコプ・ローナー社は、当時電気技師だったフェルディナント・ポルシェを迎え入れ、電気自動車の製造を目論んだ。ポルシェの手掛けた電気自動車は1900年のパリ万博で披露された。この時のモデルは前輪各輪に2.5馬力のインホイールモーターを備えた前輪駆動車だったが、のちに四輪にモーターを備えた四輪駆動車も製作された。また、航続距離の短さを補うために、発電機としてガソリンエンジンを搭載するシリーズハイブリッド方式の”ミクステ”も登場した。ローナー社でのポルシェは、レーシングカーの製作も力を入れ、また自らもドライバーとしてレースに参戦した。しかしローナー社としてはそこまでモータースポーツに注力する気は無く、ポルシェはローナー社に別れを告げることとなった。

前輪駆動、四輪駆動のEV、そしてシリーズハイブリッドの”ミクステ”

ローナー社を後にしたフェルディナント・ポルシェはアウストロ・ダイムラー社に移籍。移籍後しばらくはローナー社で手掛けた電気自動車とハイブリッド自動車”ミクステ”の改良モデルを開発。これらの自動車はメルセデスの名が冠されて販売されていた。つまり、ポルシェとメルセデスの関係はすでにこの時代には存在していた。

ポルシェが開発したメルセデスのミクステ
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