デトマソ 505/38(1970 イタリア)

デトマソ

フランク・ウィリアムズは親友のピアース・カレッジをサポートする形でF1に参入、彼にとっての最初のF1チーム「フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズ」を設立した。この活動に興味を示したアレッサンドロ・デトマソは1970年にデトマソ製シャシーを供給、エンジンとドライバーはウィリアムズ側で用意するという体制でのF1参戦となった。デトマソ505/38はランボルギーニから移籍したジャンパオロ・ダラーラによる設計で、これにコスワースDFVとヒューランドDG300ギアボックスを組み合わせた。このマシンは競争力はあまり高くは無く、またピアース・カレッジがオランダGPで事故死してしまったことがチーム活動へと暗い影を落とし、デトマソとウィリアムズの協力関係はこのシーズンで解消されてしまった。

フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズはデトマソ撤退後もF1活動を続けるが資金難に陥る。そこでウォルター・ウルフと協力関係を築きウルフ-ウィリアムズ・レーシングチームとなる。しかしここでの成績不振により、フランク・ウィリアムズは左遷され、結果自らのチームを去ることとなった。そんな傷心のフランク・ウィリアムズが新たに設立したチームが「ウィリアムズ・グランプリ・エンジニアリング」であり、これがその後の常勝集団となるチームであった。

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