ジャンニ・ランチアはF1グランプリへの参戦を目論む。ランチアはチーフエンジニアとしてヴィットリオ・ヤーノを招聘し、2.5L F1マシンを開発。ヤーノが生み出した革新的なF1マシンがランチア D50だった。コンパクトな鋼管ラダーフレームに搭載するエンジンはストレスマウントされ、フロント部の剛性向上に寄与。また、エンジン自体をZ軸に対して18°傾けることでプロペラシャフトを車体中心からずらしてドライバーの着座位置を下げた。2.5Lの90°V8 DOHCエンジンは8000回転で250馬力を発生。トランスミッションはトランスアクスル配置され前後重量配分も改善。さらに燃料タンクはホイールベース内に配置し、搭載燃料の変化による操縦性への影響を最低限に留めた。メルセデスベンツにその速さを恐れられるほどランチア D50は高性能を見せた。しかし、エースドライバーのアルベルト・アスカリが事故死し、また野心的なF1活動の中で資金難に陥ったこともあり1955シーズン中にランチアはF1グランプリから撤退。6台のD50はフェラーリが引き継ぐことになり、1956シーズンよりランチア フェラーリ D50として、フェラーリによる改良を受けながらF1グランプリを戦った。
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フェラーリは1956シーズンを、ランチア D50に跳ね馬のマークを掲げて戦った。ファン・マヌエル・ファンジオはこの年のドライバーズタイトルを獲得。ランチアは撤退してしまったが、天才ヴィットリオ・ヤーノが開発したランチア D50の性能はホンモノだった。
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