当時フォルクスワーゲン傘下であったアウディが開発した軍用ジープがフォルクスワーゲン タイプ183、通称イルティス。それはかつて生産されていた軍用ジープであるDKWムンガの剛健なプラットフォームに、アウディ100の部品を流用した四輪駆動システム、そしてフォルクスワーゲンの1.7L直列4気筒エンジン(後に1.6Lディーゼルも追加)を搭載した成り立ちだった。イルティスの悪路走破性、そして雪上でのトラクション性能は非常に優れたもので、ここでの経験がのちのアウディ クワトロ誕生のきっかけにもなった。生産されたイルティスのほとんどが軍用に使われたが、少数が民生向けに市販された。

1980年のパリダカールラリーには4台のイルティスがエントリーし、No.137のフレディ・コットゥリンスキー、ゲルト・レフェルマン組が優勝した。ほかの3台もすべて完走して2位、4位、そして予備部品を積載したサポートカーまでもが9位を獲得。イルティスの高い走破性と耐久性を証明する結果となった。ちなみに4位でゴールしたNo.138のイルティスをドライブしていたのはジャン・ラニョッティであった。

アウディの技術者はイルティスの雪上での思わぬ速さを身をもって体感し、フェルディナント・ピエヒに高性能な四輪駆動車の開発構想を売り込む。そしてアウディはこれを市販車に落とし込む作業へと進んでいく。アウディ80にイルティスのパワートレーンを組み込んだ試作車から始まったプロジェクトは、直列5気筒ターボとセンターデフを組み込み舗装路での速さと扱いやすさも付加。のちにWRCの世界に革命を起こすあの車のアウトラインがくっきりと浮き出てくる。そう、軍用ジープとして誕生したイルティスは「クワトロ」のルーツだった。

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