1989年11月、日産が北米市場で高級ブランド「インフィニティ」を立ち上げた際、フラッグシップのQ45とともにブランド初期を支えるラインナップとして投入されたのがインフィニティM30である。本モデルは2代目レパードの後期モデルをベースとした輸出専用仕様であり、北米のラグジュアリー市場におけるエントリークーペとしての役割を担った。日本仕様のレパードが持つ「洗練された大人のクーペ」という価値観を北米へ持ち込み、BMW 3シリーズクーペやレクサスES250をライバルに見据えた戦略的モデルであった。
パワートレーンに関しては、日本仕様のレパードがDOHCやターボ(VG30DE/DET)といった多彩な選択肢を持っていたのに対し、M30は3.0L V6 SOHCの「VG30E」エンジン一択という構成であった。最高出力は164馬力を発生し、これに電子制御4速オートマチックトランスミッションが組み合わされた。シャシー面では、超音波センサーで路面をスキャンして減衰力を制御する「ソナーサスペンション」を標準装備。ラグジュアリーブランドの一翼を担うべく、北米のハイウェイでの快適なクルージングを重視した、しなやかでフラットな乗り心地が追求されていた。
M30の歴史において最も特筆すべきは、1991年モデルから追加されたコンバーチブルの存在である。これは日本の工場で生産されたクーペを米国へ輸送した後、カリフォルニア州のASC(アメリカン・サンルーフ・コーポレーション)社においてオープンボディへと改装されたモデルであった。全自動の電動ソフトトップを備えたこのコンバーチブルは、海岸線を優雅に流すカリフォルニアのライフスタイルを象徴する一台となった。日本国内の標準ラインナップには存在しなかった「屋根の開くレパード」というその稀少性は、後に逆輸入を試みる日本の熱狂的なファンを生むほどの強い魅力を放っていた。
販売面では、ブランド立ち上げ直後という認知度の低さもあり、約1万7,000台の生産に留まり1992年モデルを最後に後継のJ30(日本名レパードJ.フェリー)にバトンを渡した。しかし、レパードの端正な美しさと、ASC社による丁寧なコンバーチブル化の仕事は、生産終了から30年以上が経過した現代においても北米の日本車愛好家の間で高く評価されている。

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