アルピーヌ A500(1976 フランス)

アルピーヌ

1976年に誕生したアルピーヌ A500は、ルノーがF1参戦という壮大な目標に向けて極秘裏に開発したプロトタイプである。この年は、ルノーのモータースポーツ史において極めて重要な転換点であった。ラリーやスポーツカー開発を担ってきた「アルピーヌ」と、エンジンの名門「ゴルディーニ」が統合され、現在まで続く「ルノー・スポール」が設立されたのである。A500はこの新組織の最初のプロジェクトであり、のちのF1界を揺るがすターボ革命の「走る実験室」として、ディエップのアルピーヌ工場で産声を上げた。

A500の設計はアンドレ・デ・コルタンツによる。その技術的な最大の焦点は、ミドシップに搭載された1.5L V6ターボエンジン「EF1」ユニットにあった。当時のF1主流は3.0L自然吸気エンジンであり、排気量が半分のターボエンジンがどれほどの性能を発揮できるかは未知数であったが、その最高出力は520馬力に達していたとされる。これは当時のNA勢を凌駕するスペックであった。

しかし、このエンジンには小排気量と大径シングルターボの組み合わせによる極端なターボラグ、熱害やピストンの溶解といった信頼性の問題が山積していた。そんな中でもテストドライバーのジャン=ピエール・ジャブイーユは精力的にA500でのテスト走行をこなし、翌年のF1参戦に向けて開発を進めていった。(結局、エンジン信頼性の問題は解決されずに実戦に投入されてしまったが。)

また、A500は単にターボエンジンの検証のためだけではなく、ミシュランが開発中だったF1用ラジアルタイヤの性能を引き出すためのテストベッドとしての役割も兼ねていた。ミシュラン製ラジアルタイヤの限界が高い反面、唐突にブレイクするその特性にも、ジャブイーユは悩まされていたという。

このマシンで得られた知見は、1977年に登場する実戦型マシン「RS01」の設計へと生かされた。RS01は当初、たびたび白煙を上げてリタイアする姿から「イエロー・ティーポット」と揶揄された。しかし1979年、後継マシンRS10がついにターボF1として初優勝を遂げ、ルノーはターボF1時代の狼煙を上げた。

ルノーがターボに傾倒していくきっかけとなったエピソードがある。1972年、フランスラリー選手権にスポット参戦した1台のアルピーヌA110。これにはベルナール・デュドが手掛けたターボエンジンが搭載されていた。しかも、運も味方につけ、ターボA110はいきなり勝利を飾る。この結果を受けたルノー幹部は将来のターボ技術の可能性に沸き立つ。この後ルノーはモータースポーツで、ターボエンジンでの活動を展開していくこととなる。

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