1970年に登場した「フォード ピント」は、急伸する欧州勢や日本の小型車に対抗すべく企画されたサブコンパクトカーである。当時の副社長リー・アイアコッカの主導により「車重2,000ポンド以下、価格2,000ドル以下」という過酷な目標が課され、通常40か月以上を要する開発期間を約25か月に短縮。低価格と軽量化を最優先とした極めて短期間の工程を経て市場へ投入された。
当初の2ドアセダンに加え、ガラスハッチを備えた3ドア「ランナバウト」やステーションワゴンを追加。発売当初は欧州フォード製である75hpの1.6リッターや100hpの2.0リッター直4を積んだが、北米の安全・排出ガス規制に伴う重量増や性能低下を補うため、後に北米開発の2.3リッター直4(約85hp)や欧州製の2.8リッターV6(約100hp)を導入した。後期型では角型ヘッドライトへの意匠変更を受けながら、手頃な実用車として高い人気を保ち続けた。
だが、堅調な販売の一方で重大な安全性の疑惑が浮上した。燃料タンクを後輪車軸後方に置く配置自体は当時の後輪駆動車として標準的だったものの、車軸デファレンシャルの突出ボルトやバンパー構造の脆弱性から、追突時のタンク破損が指摘された。メディア告発や巨額の損害賠償裁判が世論を激化させ、安全対策費用と人命補償を天秤にかけたと解釈された費用便益分析の社内メモが決定打となり、1978年に大規模なリコールへと発展した。
後年の学術研究や統計分析では、追突火災の発生率が同級の競合車と比較して統計上突出してはいなかった点や、物議を醸したメモが連邦法規策定に向けた標準的試算であった経緯が明らかにされている。それでもなお、10年で300万台以上を売った大衆車としての功績以上に、企業倫理と設計責任を巡る歴史的な戒めとして、自動車産業史にその名を深く刻んでいる。

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