1978年のパリ・サロンで発表された「BMW M1(E26型)」は、BMWモータースポーツ社が主導して開発したスーパースポーツである。当時、世界選手権のグループ4およびグループ5規定を席巻していたポルシェ934やポルシェ935に対抗し、その独走を阻止すべく企画された。国際格式レースでのホモロゲーション獲得を前提とした純粋な競技ベース車両として設計され、サーキットで打倒ポルシェを果たすための専用マシンとして開発が進められた。
スタイリングはジョルジェット・ジウジアーロ率いるイタルデザインが担当し、低いウェッジシェイプを確立。車体開発と初期生産は量産ミドシップのノウハウを持つ伊ランボルギーニへ委託されたが、同社はBMWから提供された開発資金や設備を米軍向け高機動車「チータ」の開発へ流用。結果としてM1の開発は致命的な遅延を招き、ランボルギーニの経営破綻に伴いBMWは1978年に提携を解消した。車体製造はマルケージ社、イタルデザイン、独バウア社を渡り歩く複雑な分業体制へと再編を余儀なくされ、生産効率の著しい低下を招いた。
BMWの市販車で唯一となるミドシップレイアウトを採用し、座席後方に3.5リッター直列6気筒DOHC「M88/1型」ユニットを縦置きに配置。クーゲルフィッシャー製機械式インジェクションやドライサンプ潤滑を備え、市販仕様の自然吸気で277psを発生した。4輪ダブルウィッシュボーン懸架とZF製5速マニュアルを組み合わせ、卓越した運動性能と高い操縦安定性を両立。さらに、最終目標であったグループ5規定の競技仕様に向けては、過給圧を高めたターボチャージャーの装着により800ps超の強大な動力性能を発揮させる構想が描かれており、極限の過給負荷に耐えうる頑躯なシリンダーブロック設計があらかじめ施されていた。
しかし生産体制の混乱による大幅な遅延は、M1から最大の活躍の場を奪う結果となった。規定の400台を達成してグループ4公認を取得した1980年末には、宿敵ポルシェ935の進化が極限に達していただけでなく、モータースポーツ界の主役が新規定のグループCへと移行する直前であり、グループ5を含めて世界選手権で覇権を争う好機はすでに失われていた。窮地に立たされたBMWは打開策としてF1前座の「プロカー・シリーズ」を創設し、当代一のトップドライバーたちによる激戦を通じて世界的な名声を獲得。1981年までに約450台が世に送り出された同モデルは、悲運の歴史を背負いながらも「M」ブランドの原点にして孤高の伝説として語り継がれている。

1978年春、ランボルギーニの経営破綻に伴う管財人管理や工場の差し押さえを危惧したBMWモータースポーツ社代表のヨッヘン・ニーアパッシュと技術責任者パウル・ロシェは、電撃的な行動に出た。契約解除の通告と機を同じくして、開発途上にあったM1の試作車や重要資産が法的に封鎖される事態を防ぐためである。
部隊を率いてサンタアガタの工場へ乗り込んだ両名は、製造途中の車体や専用治具、設計図面を大型トラックへ急遽積み込み、イタリアのマルケージ社やイタルデザイン、西ドイツのバウア社など新たな分業先へと迅速に移送。この強硬な回収劇によって開発資産の喪失は回避され、M1の命脈は辛うじて保たれた。

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