ジャガーはXJS後継モデルの計画を1980年ごろより開始。Fタイプとして市販される予定だったそれはクーペがXJ41、コンバーチブルがXJ42の開発コードで呼ばれた。この車は開発当初は直6エンジン、前後ダブルウィッシュボーンサスペンションを採用したシンプルなスポーツカーという構想だった。しかし、XJセダン(XJ40)のモデルチェンジ延期の影響や、Gr.Aレースで活躍するXJSが人気を取り戻した事などによりなかなか市販には移らなかった。そんな中でライバル車が急激にハイパワー化したこともあり、エンジンは330馬力の4.0L 直6ツインターボへとアップデートされ、四輪駆動までをも盛り込む事となる。残念ながらこの計画は、1989年にフォードがジャガーを買収すると、その後フォードの手により中止されてしまった。
※XJ-Sは91年よりXJSへと改名、本文中はXJS表記で統一した。
XJ-S後継モデルの魂はDB7に引き継がれる
XJ41の計画は中止されたが、そのデザインに可能性を感じていたトム・ウォーキンショーはイアン・カラムに既存XJSプラットフォーム用へとリデザインを依頼。そして開発費を抑えてモデルチェンジが出来るこの案をジャガーに提案した。この時点でジャガーからは高評価を得るも最終的な承諾は得られなかった。しかし代わりにアストンマーティンがこれに興味を持つ。イアン・カラムはあらためて、主にフロント周りをアストンマーティン用にリデザイン。これがXJS由来のプラットフォームを使用するDB7誕生へと繋がった。
アストンマーティンDB7のXJS由来のプラットフォームは、本家ジャガーのXJS後継モデルであるXK8でも採用された。そのためXJS、DB7、XK8の3車のホイールベースは2590mmと同一となっていた。
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